言語 教育 生活に役立つ知識は何でも

言語や教育にまつわる生活に役立つ知識を書いていきます。

学び続ける力

 

NHKアナウンサーの池上彰さんが書いた本「学び続ける力」を読んで感じたことを書きます。

 

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なぜ勉強をするのか、そもそも勉強することに何の意味があるのか、と感じる方には、おすすめの一冊です。

 

池上彰さんの父は銀行員として働く傍ら、英語の勉強をして、定年退職後には通訳ガイドの資格を取得し、充実した第二の人生を歩んだそうです。家では子どもとは遊ばずに本を広げ、図書館で勉強をしていたそうです。晩年まで、知識に貪欲なタイプで常に本を読んでいたそうです。

 

「私は、明日死ぬことがわかっていても、やっぱり勉強を続けたいと願っています。こんな心構えを父は教えてくれたのでしょう」

 

このような環境があったから、あの池上彰のような人物を創り出したのかもしれません。

 

私は働きながら、社会人大学院へ通いました。そこで人工知能コンピュータサイエンスについて学んだのですが、毎月の定例ゼミ発表や学会発表に論文投稿と2年間でフルマラソンを走りきりました。年齢的には30代半ばであり若くないのと、職場や家庭を周りを巻き込んで、そりゃもう大変でした。

 

「文科系、理科系の垣根を越えて、伝えたいこと。それは、『学ぶこと』の楽しさです。学べば、学ぶほど視野が広がり、自分の知らないことに出会う。それが自分の好奇心を刺激します。好奇心が大きくなれば、ワクワクする気持ちに満たされます。知的スリルを味わうのです。」

 

私も年を追うごとに知識への好奇心が湧いてきます。なぜ人は学ぶのか?その答えがこの本には書かれていました。

 

また、この本には「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」という記述があります。これは、かつて慶應義塾大学の塾長であった小泉信三の言葉だそうです。 「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」。 だから、「すぐ役に立たないようなことを教えれば、生涯ずーっと役に立つ」。 こういう考え方が、「リベラルアーツ」と言われるそうです。言い換えると「一般教養」、直訳すると「自由になるための技」。

リベラルアーツ」とは、人間性豊かにはぐくむ幅広い知識物事深く専門的に追求する上で土台となる基礎的学問総体、あるいはそれを身につけるための教育手法を指す言葉です。日本語では、一般に教養訳されます。リベラルアーツ原義は“人を自由にする学問”。もともと古代ギリシア奴隷一線を画す市民育成するための学問として発祥しその後言語系3学(文法・論理・修辞)と、数学系4学(算術幾何天文音楽から成る自由7科」(セブンリベラルアーツ)として確立普及しました。リベラルアーツ人として根幹をつくる学びであり、近年人材開発の一環として、とくにリーダー育成のための研修などに取入れ企業増えてます。

https://www.weblio.jp/content/%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%84

 

私がやっているような人工知能の研究は、この理論に当てはめると、「すぐに役立つもの」なので、「すぐに役立たなくなる」ものとなる。数年後、人工知能の技術がどうなっているのか、役立たなくなっているのか、そうではないのかを確かめたい。

 

私は、すぐに役立つものに敏感で取り入れようとする。なので人工知能の技術の虜になっていると思う。私のモットーは「明日楽になるために、今日をがんばる」としている。もう少し大人になれば、「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」の意義が理解できるかもしれない。今はまだ、小手先のコンビニエンスな技術を寄せ集める生活が続きそうである。

 

東京工業大学で教鞭をとっている池上彰さんは、大学で学ぶべきことを2つ挙げています。

1つは「批判力=批判的に見る力」

読書や学術発表の中で、「待てよ、どうして?」、「どういうこと?」と疑問や理屈と合わない箇所を見つける能力。言われたことを「ああ、そうなんだ」と受け入れる能力も勉強においては大切ですが、研究者や学問を究める者は、批判的に観察する能力が必要であるそうです。これについては、私も同感です。研究者としての端くれではありますが、相手の意見を鵜呑みにすることはありません。常に「なぜ?」、「それは本当?」と懐疑的に聞いていることが多いです。話している人を否定したい訳ではありません。あくまで真実を知りたい。それだけです。

もう一つは「自ら学ぶ力

これはタイトルと似ています。研究者になるなら、自ら考えて、発想し、発見することが必要です。そのような力は、自分で一生懸命考えて、学ぶ力があって初めて得られます。大学は、新しい知識や技術を得る場所ではなく、人間が学ぶことの意義やその学び方についてを教えてもらう場所だったのですね。もう卒業はしたのですが、大学の存在理由を知ることができて、良かったです。

 

この本を読んで、学ぶことの理由を確かめることができたので、これからの生活の糧になると思います。

 

インターネットが発達したこの世界では、大学に行かずとも、学び続ける人は多くいると思います。農家、下町工場の技術者、自身の資格取得目的、収益目的のブロガーやYou Tuberなど。どの分野においても正解なく、学び続けることが大切であると思います。

 

また、学び続けることの大切さは、生きることにもつながります。

年齢に関わらず、学ぶ意欲ある人は、無償で学ぶ環境があれば、より良い社会が実現できるのになぁと感じる今日この頃です。

 

日本語は難しい

久しぶりの記帳です。

 

社会人大学院生として働きながら学業も行う生活をしています。

大学院生となったのが2021年の4月からですので、もうすぐ2年が経ちます。

修士論文の仕上げをほとんど終えて、なんとか卒業できそうです。

 

修士論文の内容は人工知能に関する研究です。

 

人工知能を扱うことは、技術的にはそこまで難しくないです。

なぜなら、インターネットの中に人工知能の扱い方についてほとんどが、検索することで問題解決できるからです。

なので、私ようなコンピュータの初心者でも、人工知能に関する研究を独学で行うことができました。

 

一番大変だったのが、日本語の文章を書くことでした。

 

論文原稿の推敲時には、私の指導教員である教授から、「あなたは作文が苦手なようです」とはっきりと言われました。今後、大学院を出た証を得ると、周りから一定のレベルに達していると期待されます。恥ずかしい思いをしないように、文章の基本構造についてもう少し学ぶことを勧められました。

 

これを言われたときは、35歳になって、「さすがにそんなはずはない」と納得できませんでした。

 

しかしながら、思い当たる節はありました。仕事でメールを打っていると、何が言いたいのかよく分からない文章になっていることが多々ありました。中学生と高校生の頃から、国語が苦手だったので、今になって文章を書くことに苦労することとなりました。

 

このブログに記事を書くことで、文章力を少しずつですが学んでいきたいと考えています。

 

ブログは、文章力を鍛えるにはもってこいのツールです。

  • 人から見れれる
  • 何度も見返し、修正ができる

自分の日記をノートに書くことも練習にはいいですが、見直しや修正はしませんよね。ブログでは「人から見られる」ことで文章に気を付けて書くようになります。さらにブログを後で見返して、修正することができます。

 

なのでブログは、相手に伝えるための文章力を鍛えるには最高の環境だと思います。